目が悪くても86才になる母は目が悪い。50代の時に眼底出血をして片目の視力を失った。血圧が高かったのに気づいていなかったらしい。その時は頭の中で出血しないで済んだから良かったね、と喜んだものの片目を失ったダメージは大きかった。年をとり、白内障の手術をして、今は緑内障となり物が見えづらいらしい。視野も所々欠けていると聞く。本人の説明ではどんな風に見えているのかよく分からないが、物を見るとき、欠けている視野を補うために頭を振りながら見えているところで全体像を結ぶらしい。それでもその不自由な目で本を読んでいる。ピントが合わせにくいらしく何度も同じ行を読んだり行をとばしたりしてしまうそうだ。買い物に行っても商品が探し出せないので、ショッピングの楽しさが減ったと言っている。 最近は私(娘)や孫達と LINE で連絡をやり取りするようになった。もちろん使っているのは年寄り向けの字の大きなスマホだ。音声入力を勧めているのだが息子たちが反対する。今さら新しいスキルを習得するのは無理だという理由で。 母には「外出をして帰ってきたら、必ずLINEをしてね。」と頼んでいる。 それでデイサービスから「帰ってきました。」病院から「帰ってきました。」とその都度LINE が届く。私も安心だ。「部屋ーカットに行ってきました。」とか「おつこれさま」なんて誤字も多いが、これはご愛嬌。 うっかりと画面に指が触れてしまい、よく何かわけのわからない画面が出てきて元に戻せないと SOS が来ることがある。 昔、子供の頃、茶碗にご飯粒がついていたらきれいに取って食べろと言われたが、最近は母のご飯茶碗にご飯粒がいっぱいついている。どうやら白いご飯茶碗に白い米粒が見えないらしい。それで娘が母のために新しい茶碗を選んでくれた。黒い色の小ぶりの塗りの茶碗である。 目が悪くてもまだ見える機能が残ってる以上、なかなか耳を頼りに生きていくというのは難しいらしい。視覚の方が一瞬にとれる情報量が多いからだ。 しかし目が悪くても読書がしたい、料理を作りたいなど、まだまだ生活の全てにおいて意欲的であるところがいい。 「おばあちゃんに新しいスキルは無理だ。」と息子は言うが、私は最新機器を上手に利用することはいいことだと思っている。そのために練習は必要だろう。ボケ防止のためにもいい刺激になると思っている。 人間はその環境に慣れる動物である。母も目の悪い生活に慣れて暮らしている。ならば上手に耳やその他の感覚を活用していくことにも慣れてほしい。そうしながらQOLを上げていってほしいと願っている。 |